ゾンビものを新次元に押し上げる「ゾンビ・アット・ホーム」
みんな大好きゾンビ映画。
特に「ウォーキングデッド」が大ヒットになってここ数年でしょうか。
以前の一部好事家向け脳みそムシャムシャムービーといった扱いじゃなくて、かなりライトな好まれ方をするようになってきた感があります。
「ゾンビ映画」と「ゾンビドラマ」
映画は2時間の枠ありきのため、だいたいが
1:パンデミック発生
2:逃げる主人公と混乱する社会
3:カタストロフィ、そして対決
4:パンデミック自体の解決の兆しが見える、もしくは果てなき逃亡を示唆
という流れを持っています。
ところが、ドラマだとこの4以降が果てしなく伸ばせるわけです。
「ウォーキングデッド」においては、シーズン1のゾンビものらしいパニック描写より、シーズン2以降の「果てなきその後の世界」にこそぞくぞくさせるものがあります。パンデミック発生から2年目の冬なんて、もう胸に迫る迫力がありました。
シーズン3の第1話「厳しい冬を超えて」では、作物や野生植物が冬枯れの中、賞味期限切れの缶詰を、「どのくらいならいけそうか」というカンをもとに口に運ぶわけです。
グッときます。
思考実験としての「ゾンビ・アット・ホーム」
で、「ウォーキングデッド」における「その後の世界」の描き方がスタンダードなものだとしたら、この「ゾンビ・アット・ホーム」は実に実験的です。
表現として実験的というわけではなく、一種の思考実験です。
※チンタラ書いてたらhuluでの配信が一旦終了になってしまってました!
観たい方はDVDで観るか、次回配信をお待ち下さいな・・・
この作品は「もし、ゾンビが『再び』生者として甦ったら?」というワンアイデアで作られている作品。
この世界ではパンデミック→カタストロフィはすでに終局し、一度死んで墓から甦った系のゾンビを、「生者に戻す(生者と同じ知性を持たせる)」薬が開発されているという設定です。
元ゾンビたちはPDS(post deth syndrome「部分死症候群」)の患者として施設に収容され、首の後ろにあけた穴から定期的に薬を投与される。
↓このように首筋にブスっと定期的に。注射を。
そして、ある日「退院」になって、もと住んでいた家に帰ってくるわけです。
だから「アットホーム」と。
息苦しくなるくらいどシリアスの第1シーズン
ジャンルものに依拠したつくりなのでコメディかと思いきや、
これめちゃくちゃ、めっちゃくちゃシリアスな作品なんですよ!!
シーズン2、合計9話までしか観ていないのですが、何回胸が詰まったことか。
ファニーな意味で面白いのは、第1話で収容者がリハビリを受けて「人間」に溶け込もうと試行錯誤しているところぐらい。
あとはヒリつくような切迫感とリアリティに満ち満ちています。
元ゾンビたちはカラコンでゾンビ・三白眼を、濃いぃファンデーションで死人色の肌を隠して「社会復帰」します。
第1シーズンでは
・ゾンビパニックの時、各地で義勇軍(HVF)が結成され、地方では今も武装して幅をきかせている。
・村人は初めての元ゾンビ(建前上「患者」と呼ばれる)受け入れに戦々恐々。
・帰郷した息子が殺されるかも、と怯える両親は息子の「復活」を隠す。
などなど、元ゾンビの帰郷に(当然ながら)、恐怖と危機感を抱いた村人たちにフォーカスした物語が展開されます。
恐怖に支配された村人および義勇軍によって、元患者たちが血祭りにあげられる悲惨な状況が続き、「ああもう彼らは普通の人間として生きなおすことはできないのか」という悲哀と同情が、観客の胸にも渦巻きます。
↓最も悲劇的な役回りになる、主人公の友人元ゾンビ。
異質な隣人たちを社会コストとして受け入れ、共存していくかを迫られる場面ですね。
歴史的に何度も繰り返されてきた葛藤ですが、これを共感と想像ができるかたちで提示してくれるのが、フィクションの良さってもんです。
「起こりうる状況ぜんぶ乗せ」の第二シーズン
ところが第2シーズンは、悲壮な第1シーズンから1年半経ち、建前上とはいえ、「患者たち」を受け入れたかのように見えた社会側に、元ゾンビたちで構成される「不死の解放軍(ULA)」が衝撃的なテロを起こす場面から幕を開けます。
ナゾの青い薬をキメてゾンビ化し、乗客を襲う元ゾンビのみなさん。
↑これゾンビものだったわ・・・と久々に思い出させてくれるシーンです。
この事件に巻き込まれるのは、元ゾンビに対してすごく「物わかりのいい」ことを言っていたおじさんです。
(わたくしもこういうことを言いそうな人間なので、胸にグッサーでした。)
↑言えば言うほど哀しい、物分りのいいおじさん。
この1年半の間に、この世界に何が?
さて元ゾンビたちが帰郷してからの1年半。
実はこの期間、特に大きな事件があったわけでも、患者に対して差別的な法案が可決されたようでもない様子です。
起こったことはただ、小さな摩擦が醸造されただけなのです。
患者たちは帰郷し、地域社会はそれを受け入れ、
第1シーズンで語られたような、隣人同士が血で血を洗う悲惨な衝突などを経て、元ゾンビたちに過激な反対をおこなうものは減っていきました。
元ゾンビ排除を訴える過激派の神父の説教は以前よりもずいぶんと閑散とし、
人間とそれ以外と分けられていたバーの座席も取り払われました。
(こういう細かい演出が実にナイス。)
面と向かって「このゾンビが!」ということは差別的であるとされ、地域社会は表向き患者たちとの共生を選んだかのように見えました。
↓義勇軍でブイブイ言わせてた過激なあんちゃんですらこんな穏健路線に。
しかし、患者たちはやはり小さな摩擦と衝突の中で恐怖され、おのずと同類同士でつるむためいっそう孤立を深める。
そんでもって、思い出したようにたまーにフラーっ森とかから出てくる野良ゾンビが、更に村人たちのトラウマを想起させる。
「リメンバー・ゾンビ・パニック」的に。
そんな社会状況の中、患者たちの間では
「本来の自分を解放する」
「自分たちは特別な存在である」
という教義に従ってテロを起こす「不死の解放軍(ULA)」の存在感が強くなっていくわけです。
こっからは怒涛の展開です。
・本来のゾンビ化を抑える薬をULAメンバーが細工し、「第二の復活」というXデーに向けて何か事件を画策している模様。
・村には反ゾンビ的政策を掲げるヴィクタス党の議員が常駐し、患者に対する締め付けを強化
・学校でも元ゾンビ高校生による「青い薬テロ」発生
・とうとう元ゾンビたちには「奉仕活動」という名の強制労働を課し、期間満了(いつかは不明)まで市民権剥奪とのお達しが。
社会から排斥されたと確信している集団が、じわじわと先鋭化して過激化していく。
何といっても、このドラマ放映前後のヨーロッパ社会のありさまを現実として目撃している我々です。
「ゾンビ・アット・ホーム」が描き出す対立構造を観て、
ヨーロッパ社会対イスラム教の構造を連想すんな、って方がムリ。
それぐらい明確に、現実社会に対する写し鏡たり得ている作品です。
正確に言うと、イスラムフォビアや移民排斥運動だけではなく、
例えば80年代のエイズパニックとか。
それに付随するホモフォビアとか。
精神障害者を取り巻く差別とか。
あらゆる世界、世代でいつもいつも発生している、ありとあらゆるマイノリティ集団との間の摩擦に当てはめて観ることができるんですね。
「んなもん、実際にアイツら危ないんやから差別されても仕方ないやろ。正当防衛やろ。」とおっしゃる御仁も。
「無知が恐怖を生む。相互理解と包括が共生への道だ。」とか物分りの良い事を言いがちな私やあなたも。
誰もがどこかに自分の立ち位置を見つけられるように仕上がっている、稀有なドラマなんですよ、「ゾンビ・アット・ホーム」。
優れた表現っつうのは、この作品のようにおしなべて現実世界へのリフレクションが強烈なものだと思います。
まぁ今、配信されてませんけど・・・!
huluさん、カムバック&新エピソード追加お願いしますよ!!
↓せめてものAXNの公式サイトです。